菅沼 斐雄 すがぬま あやお
   

寄霧言志
故郷を 立ける去年の 秋方に
6p×36.4p

天明6年(1786)生〜天保5年8月25日(1834年9月27日)歿
 備中(岡山県) 笠岡吉浜の人。庄屋北村賢親の長男。母はすみ(弘子とも称す)。上京後、大坂の武士菅沼武八郎の猶子となり菅沼姓を称した。名は綾雄・文雄とも書く。初名は政之進、のち此面・頼母。名は斐雄・綾雄・文雄。字は子英。号は蘆渚・桔梗舎・桔梗園。
 文化11年(1814) 29歳で京へ上り、香川景樹に入門して和歌を学ぶ。
景樹の後釜として梅月堂香川景柄の養子となるが、やがて離縁され、景柄の世話で閑院宮家に仕える。菅沼武八郎の猶子となり菅沼姓を名乗る。猶子とは他人の子と親子関係を結ぶことで、養子に似ているが必ずしも同じとは言えない。
 文政元年(1818) 33歳で出仕を止め、景樹に従って江戸に下る。師の帰京後も江戸に留まり、浅草に住んで門人を指導した。
 桂門十哲の一人に数えられ、熊谷直好・高橋残夢・木下幸文と共に桂園門下の四天王と称される。また同郷の幸文・残夢と共に「備中の三秀」と称されたという。
 著書は、家集『斐雄歌集』、自撰歌集『桔梗舎和歌集』(笠岡市立郷土館謄写復刊)、『袖くらべ』、『苫舟』、『知恩院花見記』、『菅沼斐雄家集』(正宗敦夫編)。

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